回想47
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
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「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
全く縁故などもなく。。💦
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。
そんな中
偶々のご縁で笑福亭生喬(せいきょう)師匠とめぐり合いました。
(詳細は。。。
お時間ございましたら回想1からをご覧ください)
それから
2015年秋から2016年の秋までの1年間に約15回の生喬師匠の
落語会を開催。
徐々にお客様もお越しになられて
「上方落語をきいてよの会ーさっぽろ」
という会なので生喬師匠の会も毎年開催しながら当会の主任になって頂ける他の師匠のご紹介をお願いしました。
そこで
生喬師匠にご紹介して頂いたのが林家染左(はやしや そめざ)師匠でした。
2016年9月に生喬師匠から林家染左師匠の当方の落語会ご参加の件のメールを頂き
それから2カ月後の11月にミナミの割烹でご挨拶させて頂きました。
今週は染左師匠の一問一答です。
1 、どうして染丸師匠に入門されたんでしょうか?
「私は小さい傾から落語を聴いてましたので、「衝撃的な出合い」というのはありませんでした。 いざ噺家になろうと思った時、自分の目指す噺家像を考えました。素人では手の出せなかった芝居噺や音曲噺もやってみたい。また、キャラクターで押すタイプではないので、滑稽噺や人情噺も芸の力をつけたい。染丸は、噺はもちろん、三味線・太鼓などの音曲、踊りなど、諸芸に通じています。そして、高座も美しい。トータルバランスのとれた噺家ですので、自分のような者でもやっていけるよう導いてくれるのではないかというのが理由です。」
2 、師匠の内弟子時代の失敗話などちょっとした話題が欲しいです
「忘れ物はしょっちゅうでした。
「自分が高座に上がる気で用意せんから忘れるんや!」
とよく叱られましたが、今だに自分の衣装でも忘れてます。単なる慌てもんです。」
3、 何故 染左というお名前なんでしょうか?
「入門時すでに24歳でしたので、「長く使える名前を」と、画数も考えてつけてもらいました。」
その後も色々と話は続き
「師匠・染丸が、困ったときにはこれを演っていました。私も、困ったときには演っています(笑)。
「笑い所の多い噺で、かつ他の噺とかぶらない」
と言っていました。
構成が、他の方とはごく微妙に違います。
型で言えば、「四代目染丸型」の寝床。
運びに無理なく、無駄なく、変える余地がない。完成形だと思っています。
この型を受け継げる事を、誇りに思います。
染左師匠の落語をご存知でない方が多いと思いますこんなお噺をされる方です。
「札幌で林家染左はなしの会2DAYs」
~第6回上方落語をきいてよの会-さっぽろ
2017年6月17日開催
から
染左師匠「寝床」全編でございます。
お時間ございましたら。。。
皆様、上方落語をよろしくお願いします!