上方落語をきいてよの会|札幌

師匠方に一問一答! その3

上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
7月7日-8日には当会の生みの親の笑福亭生喬(しょうふくてい せいきょう)師匠と札幌とずっと縁があり狸寄席やだるま寄席で
お馴染みの春風亭柳朝(しゅんぷうていりゅうちょう)師匠の落語会の開催でございます。

今週から来月の開催週まで恒例の両師匠の一問一答で普段、高座では窺い知れない両師匠の横顔を。。。
今週は
第5問!
「初高座思い出かこれまでに一番記憶にある高座の思い出は?」

生喬師匠

「入門して四ヶ月後、兵庫県三田市の養護施設にアルバイト先のやまがそばの社長が毎年お蕎麦を作って慰問をしているので私と遊喬兄さんが落語をする事になりました。

100名程の入居者の前で「犬の目」をしましたが全くウケず車イスの人はガチャガチャ揺らして正直やりにくかったんです。
帰りしな施設のスタッフが
「今日はありがとうございました。皆さんものすごく喜んでました。」

とてもそんな風には見えなかったのですが、
聞くとそれは拍手が出来ないので身体を揺らして全身で喜びを表現 していたのだとわかった時、自身の落語の出来だけを考えて客席を見てなかった事を反省しました。
この事は今も遊喬兄さんとよく話をします。一生忘れる事のない初舞台です。」

柳朝師匠

「初高座は上野鈴本演芸場で『子褒め』

袖で亡くなった三遊亭小金馬師
や紙切りの林家正楽(当時は小正楽)師、春風亭あさり兄さん[橘家圓太郎師]が聴いていらっしゃったのは覚えてます。

教わった通りにやって17分[やり過ぎ]喋って、
前座の先輩方に『長いよ💢』って小言を言われた記憶があります(笑)

出来が良かった高座は忘れろ‼️って、二ッ目勉強会で柳家小三治師匠からアドバイスされたので(笑)

迎える拍手👏より、サゲを言い終わってお辞儀をした際に送り手の拍手👏が大きい時が、ナイスなバッティングを(野球かい⚾️‼️)したんでしょうな⭕️」

第6問
噺家を辞めようと思った事は?どうしてそう思われましたか?

生喬師匠

「全くありません!なんでしょうか?
私は自分を見失わずキッチリ真面目に噺に取り組んでいれば必ずや良い噺家になれるはずだといった根拠のない自信だけはありました。
ただ、六年目ぐらいの時には芸風についてあれこれ迷走し悩んでましたが。」

柳朝師匠

「他にすることもないし、辞めようと思ったことはありません。」

師匠方、ありがとうございます。

皆様、上方落語をよろしくお願いします。


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