回想40
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
全く縁故などもなく。。

2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。
そんな中
偶々のご縁で笑福亭生喬師匠とめぐり合いました。
(詳細は。。。
お時間ございましたら回想1からをご覧ください)
それから
2015年秋から2016年の秋までの1年間に約15回の生喬師匠の
落語会を開催。
徐々にお客様もお越しになられて
「上方落語をきいてよの会ーさっぽろ」
という会なので生喬師匠の会も毎年開催しながら当会の主任になって頂ける他の師匠のご紹介をお願いしました。
そこで
生喬師匠のご紹介で宗助師匠(現 二代目八十八師匠)を紹介して頂きました。
2016年のお盆明けに宗助師匠と2015年に生喬師匠と初めてお会いした法善寺近くのお店でご挨拶を兼ねて会食いたしました。
芸名が「二番煎じ」の登場人物の「宗助」(そうすけ)からとられた事なども
その時に教えて頂いたんですが。。
「なんで宗助なんだろう?」
早速 宗助師匠にメールして伺うと
その日のうちにお電話頂き
一門で米朝師匠のご自宅でよくお酒を呑む事が 多かったらしく
宗助師匠は一番下のお弟子さんなので
呑みの会で事あるごとに
あれ取ってきて
これちょっとして
と用事をよく頼まれるそうで
その光景が二番煎じの宗助さんの様だったので
他の兄弟子さんから
「宗助はーん
宗助はーん あれ取ってー
これ取ってー」
と呼ばれるようになり
米朝師匠
「別にワシの弟子やから
米、朝という文字を入れんとあかん事ない
宗助って落語にも出てくるしお客様からも覚えてもらいやすい。。 。
宗助って字 書けるか?」
宗助師匠
「はい 書けます」
米朝師匠
「ほたら 明日からお前は宗助や
えーな」
と呑みの会で芸名が決まったそうです
が
翌朝は米朝師匠はその事を忘れており
「谷本。」
と
本名で当時の宗助師匠を呼ばれたらしいです(^^)
そんな謂れのある芸名だそうです。