回想39
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
全く縁故などもなく。。

2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。
そんな中
偶々のご縁で笑福亭生喬師匠とめぐり合いました。
(詳細は。。。
お時間ございましたら回想1からをご覧ください)
それから
2015年秋から2016年の秋までの1年間に約15回の生喬師匠の
落語会を開催。
徐々にお客様もお越しになられて
「上方落語をきいてよの会ーさっぽろ」
という会なので生喬師匠の会も毎年開催しながら当会の主任になって頂ける他の師匠のご紹介をお願いしました。
そこで
生喬師匠のご紹介で宗助師匠(現 二代目八十八師匠)を紹介して頂きました。
2016年のお盆明けに宗助師匠と2015年に生喬師匠と初めてお会いした法善寺近くのお店でご挨拶を兼ねて会食いたしました。
最初の会った印象は穏やかで実直な方でした。
生喬師匠に出会った時もそうでしたが落語という一つの物をシッカリとご自身の人生をかけて探求されている方はやはりどこか皆様、凛とされておられます。
簡単なご挨拶の後、米朝師匠の入門時のお話。。
学校卒業後一度米朝師匠の門を叩いたが願わず 板前のお仕事をされてやはり噺家の夢は捨てきれず再度、米朝師匠に会いに行き入門された事。
芸名が「二番煎じ」の登場人物の「宗助」からとられた事など。。。。
お酒が進むうちに驚いたのが。。。。
モノマネをされるんですよ !
米朝師匠はもとより一門の枝雀師匠 ざこば師匠
モノマネされながらその時の光景を落語風に演じられ
まるで自分が米朝一門の集いにいるような錯覚を覚えました。
はたまた。。。。
6代目の松鶴師匠をマネる時によく皆様、吃るマネをされますが
米朝師匠が仰るには
「それが残念。
若い頃の6代目はなぁもっと頭の後ろから声も高く。。。
こう出てたんや。。」
と若い頃の松鶴師匠のモノマネをされました。
その声は高校の頃 松鶴師匠のモノクロの写真のレコードを聞いたその声でした !
本当に楽しい時間でしたそれから数ヶ月後にふっと
「ほんでもなんでやろう?」
と疑問が。。。。つづきは次回に。
皆様、上方落語を宜しくお願いします。