新着情報
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回想17
2021/08/02 -
回想16
2021/07/26 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。そんな中
ひょんなご縁で笑福亭生喬師匠とめぐり合い師匠にご挨拶をさせて頂きにお土産の夕張メロンを持って
いざ。。大阪へ2015年6月29日(月)にミナミの法善寺近くの
個室のある居酒屋さんでお昼過ぎに生喬師匠と待ち合わせをいたしました。プロの上方の噺家さんとサシで呑める機会もそう滅多にないです。
私も素人で舞台に何度か上げてもらって噺をしておりますので
落語の評論批評や歴史についてでなく
この際、演者として日頃 感じている疑問を色々と伺いました又一つ一つ丁寧に答えて頂きました。どうやって落語を覚えておられてネタをどうやってくっておられるのか?
などの事から
例えば。。
落語のネタ「隣の桜」
最後、隣の学者の鼻に釘抜き入れるのが番頭ですが生喬師匠は番頭じゃなくてお店の主が学者の鼻に
釘抜きを入れる噺に変えられて演じておられそっちの方が人間関係がスッキリしてわかりやすい又
番頭 丁稚がそんな主 学者を見てはやしたてるような。。。そういったお話を通して師匠の落語に対する思いや考え方が
「えらい真っ直ぐな人やなぁ」
「本当に落語が好きなんやろうなぁ」まぁ あっという間に時間が過ぎました帰りに
夕張メロンはちゃんと忘れずに渡して
私に取っては名刺ではしくじりましたが。。。
実に有意義な時間でした。続きは次週に。。
皆様 上方落語を宜しくお願いします。
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回想15
2021/07/19 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。そんな中
ラクゴリラという上方落語の噺家さん4人のユニットのサイトに連絡させて頂き笑福亭生喬師匠よりご連絡頂きました。その後色々と師匠にはお世話になりました。
「私で宜しければ相談にのりますよ」
の暖かい言葉からゆっくりと動いていきました。この辺りもお時間ございましたらこれまでのブログをご参照くださいませ。
https://上方落語さっぽろ.com/そして2015年5月に動楽亭へ師匠の会、生喬百席十九夜を直接 札幌から聴きに行ったりしまして
「噺家さん探しではホンマに世話になったし 何処の誰かもわからん自分の事をメールのやり取りだけやけどキッチリと
聞いてもらった」これも御縁やお願いしよう‼️
そう思いました。。それから
日を改めましてご挨拶を兼ねて2015年6月29日(月)にミナミの法善寺近くの
個室のある居酒屋さんでお昼過ぎに生喬師匠と待ち合わせをいたしました。当日は名刺は持って行かんと
仕事用のと落語用の2つの名刺入れ
それと
お土産の夕張メロンを持って
いざ。。大阪へ約束のお時間には既に師匠はいらっしゃいました。
先ずは
はじめましてのご挨拶
あら。。名刺入れが鞄に入ってない‼️
あれ程確認して鞄に入れたのに
何度探してもない‼️
おかしいな。。。(・_・;
師匠は
「まぁ そんな事もありますわ」
と言ってはくれてましたが。。。それからは率直な質問で
「どうして面識のない私にここまで付き合って下さるのか?」
師匠が仰るには
「札幌で上方落語の寄席をしたいという気持ちに私でよければ。。」
それと
「上方の噺家にメールを何度かしたけどなかなか返事が来ないとおっしゃてましたが
上方の噺家そんなんばっかりやと思われるのも。。。。
嫌なんで」それからは
師匠の入門時の親御さん 先代の松喬師匠とのお話。並々ならぬ生喬師匠の決意と心配されていた親御さんの心中
思い遣っての松喬師匠のお言葉等々これは随分 重いお話でした。
でもこの事が生喬師匠にとっては今も大切な出来事やったんやろうなぁ
と思いました。続きは次週に。。
皆様 上方落語を宜しくお願いします。
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回想14
2021/07/14 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。そんな中
ラクゴリラという上方落語の噺家さん4人のユニットのサイトに連絡させて頂き笑福亭生喬師匠よりご連絡頂きました。その後色々と師匠にはお世話になりました。
この辺りもお時間ございましたらこれまでのブログをご参照くださいませ。
https://上方落語さっぽろ.com/そして2015年5月に動楽亭へ師匠の会、生喬百席十九夜を直接 札幌から聴きに行ったりして
○非常に聞きやすい。。
○頭にスーっと話が入ってくる。
○演者が前に出るのでなくて噺が前に 出てくる。。
○一つ一つの仕草がリアル。
○パンフレットを見るとそれぞれの
ネタに思い入れがギッシリ書かれていて落語に対する強い思入れを感じる。等々。。。
素人がどうのこうの言えませんが
そんな風に感じました。私にとっては落語も大切ですが
「噺家さん探しではホンマに世話になったし 何処の誰かもわからん自分の事をメールのやり取りだけやけどキッチリと
聞いてもらった」この思いの方が強かったです。
これも御縁やお願いしよう‼️
そう思いました。。生喬百席十九夜を見たら
師匠とのアポを取れる程の時間に余裕がなく
そのまま札幌へ帰ってきました。寄席開催するのにも私一人では出来ませんから
早速、落語仲間に
「笑福亭生喬師匠がこちらの意向を汲んで頂けて上方落語の寄席を先ず生喬師匠の独演会で開催したい協力してもらえませんか?」
とお話ししました。
2人くらいの方が賛同して頂けて
殆どの方が
「当日のスケジュールが合えば手伝うね」
との事でした。中には私の事を思って率直なご意見も頂きました
「そんな一回その師匠の寄席を見てそれだけで。。。?」
「なぜ そんなに上方落語をしたいのかがわからない」
「上方落語が札幌で浸透させていくのは大変ですよ 必要とされているなら既にもっと開催されていますよ」
そんな中、私も当時お手伝いしていた狸寄席の住出さんが貴重なご意見を言って頂けました。
「上方落語の寄席を開催するということはわかったけど
今一つ 熱意が届かないんですよ。。。
その生喬師匠と会われましたか?
会ってないなら 会って直接お話しされた方がいいですよ」それもそうやなぁ
先回の帰阪の折に時間取れなかったけど
仕事を発・受注するのに会ってへんのもおかしい。。ただその頃は仕事が忙しく
真面に休みが取れない。
帰阪するのにも連休で6月29日くらいしか会われへんなぁ。師匠に尋ねてみると
「私も偶々6月29日は1日空いております これもなんかのご縁でしょう。。
よろしくお願いします」多分6月29日にうまく会えなかったら
上方落語の寄席ももう少し遅れたかと
思います。
お土産に。。。
大阪では珍しいかな?
夕張メロンを持って再度
帰阪しました。続きは次回に。。(^_^;)
皆様、上方落語をよろしくお願いします。
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回想13
2021/07/05 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。そんな中
ラクゴリラという上方落語の噺家さん4人のユニットのサイトに連絡させて頂き笑福亭生喬師匠よりご連絡頂きました。その後色々と師匠にはお世話になりました。
この辺りもお時間ございましたら2-3週前のブログをご参照くださいませ。
https://上方落語さっぽろ.com/興行に全く無知な私に対して
条件等々もこちらの状況を加味され、
わかりやすくお話しして頂きました私にとっては本当に師匠の暖かい誠意ある対応に。。。
「本当に有難い、
これも何かのご縁やなぁ
生喬師匠にお願いしてみようか」
と思いました。ただ 師匠の噺を聞いた事がない。。
2015年5月中旬に帰阪して
※動楽亭での生喬百席十九夜を
ききに行く事になりました。動楽亭とは?。。
桂ざこば師匠がご実家の近くに建てたマンションの二階を寄席にしたもので席亭はざこば師匠です!
毎月1日~20日が2時開演の昼席があり、夜は貸し小屋として落語会などが行われています。
〜生喬師匠大阪は堺筋線の動物園前から近い場所にあり
夕刻の頃 表の階段を上がって会場へ
会場は和室の大広間です。
その日は 笑福亭 たま師匠がゲストでした。たま師匠は創作落語。。
生喬師匠は「牛ほめ」と「佐々木裁き」生喬師匠の落語の感想は。。。
○非常に聞きやすい。。
○頭にスーっと話が入ってくる。
○演者が前に出るのでなくて噺が前に 出てくる。。
○一つ一つの仕草がリアル。
○パンフレットを見るとそれぞれの
ネタに思い入れがギッシリ書かれていて落語に対する強い思入れを感じる。等々。。。
素人がどうのこうの言えませんが
そんな風に感じました。私にとっては落語も大切ですが
「噺家さん探しではホンマに世話になったし 何処の誰かもわからん自分の事をメールのやり取りだけやけどキッチリと
聞いてもらった」この思いの方が強かったです。
これも御縁やお願いしよう‼️
そう思いました。。
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回想12
2021/06/28 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。そんな中
ラクゴリラという上方落語の噺家さん4人のユニットのサイトに連絡させて頂き笑福亭生喬師匠よりご連絡頂きました。
実は最初は師匠には私のお声をかけたい噺家さんの橋渡しをして頂いておりました。
どうしてかというと。。。
あの頃、生喬師匠の落語は今はNHKの日本の話芸等々で視聴できますが当時なかなか北海道にいるとメディアで殆どお目にかかれませんでした。ただ師匠からご紹介頂いた噺家さんとも条件等々で折り合いがつかずで
またもや途方に暮れていた時に
生喬師匠は心配して頂きご連絡して下さいました。「私でよろしかったら相談にのりますよ!」
生喬師匠からの暖かい一本のメールから全てがゆっくりと動きだしました
メールのやり取りでしたが
師匠は先ずは改めて私の状況(一介のサラリーマン)で意向(営利目的でなく只々 上方落語の寄席をしたい)
等々を十分に聞かれた中で私の意向をしっかり汲んで頂ける回答をして頂きました
又 興行に全く無知な私に対して
条件等々もこちらの状況を加味され、
わかりやすくお話しして頂きました私にとっては本当に師匠の暖かい誠意ある対応に。。。
「本当に有難い、
これも何かのご縁やなぁ
生喬師匠にお願いしてみようか」
と思いましたただ 師匠の噺を聞いた事がない。。
2015年5月中旬に帰阪して
※動楽亭での生喬百席十九夜を
ききに行く事になりました皆様 上方落語をよろしくお願い申し上げます。
※動楽亭とは?。。
桂ざこば師匠がご実家の近くに建てたマンションの二階を寄席にしたもので席亭はざこば師匠です!毎月1日~20日が2時開演の昼席があり、夜は貸し小屋として落語会などが行われています
〜生喬師匠
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ここでちょっと。。襲名のお知らせ!
2021/06/21 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
毎週、当会の経緯について回想で先週まで綴ってまいりましたが、
今週は当会のホスト役のお一人、桂宗助師匠の襲名のお知らせです!三代目米朝師匠の最後の直弟子にあたられます。
とかく 最近は暗い話題が先行してばかりですから。。。
嬉しいですね。以前、生喬師匠に一度私が尋ねた事がありました
「プロの師匠の目で見られて
上方の噺家さんで何方が一番巧いと思われますか?」迷わず即
「宗助兄さんです」と答えられました。その後
当方の落語会の名は
「上方落語をきいてよの会」です
色んな上方の噺家さんに来て頂いて札幌のお客様に上方落語をきいてもらいたいんでどなたか紹介して頂けませんか?と生喬師匠にお願いして
先ず一番に推薦して頂いたのが宗助師匠です。その後2017年3月の会の独演会を皮切にホスト役として毎年ご出演頂き、札幌のお客様に色々な上方の噺家さんの噺を聴いて頂くために
文華師匠や吉坊師匠のゲストをお連れ頂いての二人会をお願いいたしました。宗助師匠がどうして米朝師匠のお弟子さんなのに名前に米や朝の字がついていない理由を伺うと
当時、一門で米朝師匠のご自宅でよくお酒を呑む事が多かったらしく
宗助師匠は一番下のお弟子さんなので呑みの会で事あるごとに
あれ取ってきて
これちょっとして
と用事をよく頼まれるそうで
その光景が二番煎じの宗助さんの様だったので
他の兄弟子さんから
「宗助はーん
宗助はーん あれ取ってー
これ取ってー」
と呼ばれるようになり
米朝師匠曰く
「別にワシの弟子やから
米、朝という文字を入れんとあかん事ない
宗助って落語にも出てくるしお客様からも覚えてもらいやすい。。。
宗助って字 書けるか?」
宗助師匠
「はい 書けます」
米朝師匠
「ほたら 明日からお前は宗助や
えーな」
と呑みの会で芸名が決まったそうです
が
翌朝は米朝師匠はその事を忘れており
本名で宗助師匠を呼ばれたらしいです(^^)
そんな謂れのある芸名だそうです。今回 米朝の俳号の八十八(やそはち)を二代目として襲名されます。
下のアドレスは
上方落語webマガジン「んなあほな」から
二代目桂八十八師匠・襲名直前インタビュー!の記事です。これからの師匠が益々、楽しみです。
当会の休会が明けましたら、師匠の札幌での襲名披露を是非、開催したいですね!皆様、上方落語を宜しくお願いします。
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回想11
2021/06/15 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。当時 4人の上方落語の噺家さんのラクゴリラというサイト(今もございます)に連絡先に電話をさせて頂き
電話に出られた生喬師匠の奥さんに 札幌で上方落語の寄席をしたい気持ちを率直に約30分くらいお話しさせて頂きました。
その後、生喬師匠よりご連絡頂きました。実は最初は師匠には私のお声をかけたい噺家さんの橋渡しをして頂いておりました。
どうしてかというと。。。
あの頃、生喬師匠の落語はなかなか
北海道にいるとメディアで殆どお目にかかれませんでした。
それからだいぶん先になりますが
衛生放送でしたか?「豊竹屋」をみたくらいでした
そんな中。。
生喬師匠は心配して頂きご連絡して下さいました。なかなか噺家さんからお返事を頂けなかったり、
条件、考え方等々で合わず厳しい状況を包み隠さずお話しさせてもらいました。「私でよろしかったら相談にのりますよ!」
生喬師匠からの暖かい一本のメールから全てがゆっくりと動きだしました
続きは次回に。。。(^_^;)皆様、上方落語をよろしくお願いいたします。
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回想10
2021/06/06 -
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
まず 縁故が全くない
。。。(^_^;)
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。当時 4人の上方落語の噺家さんのラクゴリラというサイト(今もございます)に連絡先があったのでメールをしましたが返信を頂けなかったので
サイトに記載されている電話番号に失礼を承知でアポなしの電話をさせて頂きました。その電話番号は生喬師匠のご自宅の電話番号で師匠はお留守をされていて師匠の奥さんがでられました。
その時に 札幌で上方落語の寄席をしたい気持ちを率直に約30分くらいお話しさせて頂いたかと思います
ざっくばらんとした明るい奥様でお忙しいのにも関わらず平日の昼間でしたがお話しをシッカリ聞いて頂いて「帰りましたら生喬に伝えます」
とおっしゃって頂きました後日 有難い事に 生喬師匠からメールを頂きました。
つづく
皆様、上方落語をよろしくお願いいたします。
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生喬師匠 ラジオ出演 ご案内!
2021/06/01
上方落語ファンの皆様、おまっとうさんでした。
今から7-8年前
上方落語の寄席が札幌には少なすぎる。
「ほたら
噺家さん呼ぼうか。。。」
(詳細については当ホームページの新着情報の回想1からをご覧ください)
https://上方落語さっぽろ.com/
「どなたにお越し願えばいいのか?」
これは結構。。大変でした。
2015年、年頭から3月の約3ヶ月の間
色々と当たってみましたが
なかなかいいお返事を頂ける噺家さんに巡り会えず。。。
そんな中
偶々のご縁で笑福亭生喬師匠とめぐり合いました
(詳細は。。。
お時間ございましたら回想1からをご覧ください)
その後、師匠とアポを取って
昨年 6月29日(月)大阪ミナミの法善寺近くの居酒屋さんで初めて直接 お目にかかりましたが
鞄に入れたはずの名刺入れがない❗️
うーん(*_*)
「まぁ そんな事もありますわ」
の師匠のお言葉に助けられて
その後は師匠の落語に対する真摯な思いや考え方を伺った中で
「生喬師匠にお願いしよう」
そう強く思いました。
私にも一応 家族がおります。。
この時の帰阪の理由は
うちのカミさんには
「実家の様子を見てくる」
と言ってました。
何故なら
当時 私の身内 落語仲間等々の中で
最も反対したのが
カミさんでした。。(^_^;)
一度 話した時に家の中がホラー映画の様に2週間凍りつきましたから。。。
。(°_°)
それから一ヶ月後
大阪南警察署から電話がありました。
名刺入れが地下街 なんばウォークのトイレにあり落し物として届けて頂いたとの事
よかった。。有り難い!
私
「でも おかしいな
そこのトイレは師匠と会って帰りに行ったトイレやで
師匠と会った時には名刺入れなかったもん 。。。きっとスった奴が。 」
カミさん
「はぁ〜
どこの師匠と会うてきたんや⁉️」
内緒には出来ない物で全てを話しました。
家中またもや凍りつく事はなく
どうにかこうにか
カミさんにも渋々 認めてもらいました。
それからは必ず聞きに来てくれたり手伝ってくれたりしました。
私事で恐縮です。。。
皆様、上方落語をよろしくお願いします。
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